サッカー検定事務局ではJリーグ各クラブ スクール・アカデミー向けにサッカー検定を生かすべく、サッカー検定ドリルを配布しています。
今回は歴史編をお届けいたしました。
■サッカー検定ドリル
(表面)

(裏面)
サッカー検定ドリル《戦術編》
サッカー検定ドリル《ルール編》
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■サッカー検定ドリル 問題、正解と解説
【問題 1】1970年にアヤックスの黄金時代を築き、トータル・フットボールの
生みの親とされる名将はだれか。
(1)リヌス・ミケルス
(2)フース・ヒディグ
(3)ボビー・ロプソン
(4)ジョルディ・クライフ
※正解......(1)リヌス・ミケルス
世界の名監督 リヌス・ミケルス(オランダ)
プロサッカー選手としてのキャリアも持つが、サッカー史にその名前が刻まれるのは指導者としての功績によるところが大きい。
1965年、リヌス・ミケルスは現役時代を過ごしたアヤックスの指揮官に就任する。それまで、アマチュアチームの監督しか務めていなかったミケルスだが、就任初年度にチームを降格の危機から救うと、ヨハン・クライフやヨハン・ニースケンといった有能な選手たちを重用し「トータル・フットボール」と呼ばれる革新的なスタイルを確立。1971年にはチャンピオンズカップ制覇も成し遂げている。
その後、バルセロナでもクライフやニースケンを指導し、16シーズン振りの国内リーグ制覇を実現した。1974年には、オランダ代表監督に就任して同年のワールドカップ・西ドイツ大会に挑み、華麗かつ異次元のサッカーを展開して代表チームを準優勝へと導いた。
1986年から1988年、1990年から1992年にもオランダ代表監督を務めてヨーロッパ
選手権に挑んでおり、1988年大会ではマルコ・ファン・バステン、ルート・フリット、フランク・ライカールトらタレントの能力をうまく引き出し、ヨーロッパ制覇を実現。しかし、1992年大会では準決勝でデンマークにPK戦の末に敗れ、監督業を引退している。そして2005年3月3日、ベルギーの病院で77年間の生涯を閉じた。
【問題 2】オランダ代表で活躍したヨハン・クライフが率いたスペインのチームはどれか。
(1)バルセロナ
(2)レアル・マドリード
(3)アヤックス
(4)アトレティコ・マドリー
※正解......(1)バルセロナ
ヨハン・クライフ (オランダ)1947.4.25〜
1985年、現役時代に在籍したアヤックスのテクニカル・ディレクターに就任。これは実質上の監督で、指導者ライセンスを所持していなかった彼のためにとられた対応策だった。3年間チームを指揮し。フランク・ライカールトやマルコ・ファン・バステン、デニス・ベルカンプらを指導したほか、若手選手の養成機関「アヤックス・ユース・アカデミー」を設立し、クラレンス・セードルフやパトリック・クライファートらを育て上げた。
1988年にバルセロナの監督に就任すると、ミカエル・ラウドルップやフリスト・ストイチコフ、ロマーリオといったスター選手を次々に獲得し、「ドリーム・チーム」と呼ばれる強力なチームを形成。「1-0で勝つより4-5で負けるほうが美しい」という言葉を残していることからもわかるとおり、結果のみならずスペクタクルも追い求めたバルセロナのサッカーは、サポーターから熱烈な支持を受けた。1989-1990シーズンからの国内リーグ4連覇や1991-1992シーズンのチャンピオンンズカップ優勝など数々の偉業を成し遂げている。
1996年に退任し、その後はバルセロナの「ご意見番」のような立場をとっていたが、
2009年にカタルーニャ州選抜の監督に就任している。
【問題 3】6大陸のナンバー1クラブチームが対戦し、クラブ世界一を決定する大会の
現在の名称はどれか。(2011年現在)
(1)トヨタカップ
(2)FIFA クラブ世界選手権
(3)FIFA クラブチャンピオンシップ
(4)FIFA クラブワールドカップ
※正解......(4)FIFAクラブワールドカップ
FIFA(国際サッカー連盟)が主催するクラブチームによるサッカーの世界選手権大会。2000年に第1回を開催。一時中断ののち、インターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)を吸収、2005年より6大陸の選手権王者がトーナメント方式で戦う形となった。
2005年までの大会名は「FIFAクラブ世界選手権」。2006年よりFIFA主催の国際大会
の名称を「ワールドカップ」で統一することとなり、現在の名称に改められた。
【問題 4】1993年5月15日、Jリーグ元年の開幕戦の対戦カードはどれか。なお、クラブ名は1993年当時の呼称である。
(1)ジュビロ磐田VS鹿島アントラーズ
(2)ヴェルディ川崎VS横浜マリノス
(3)鹿島アントラーズVSヴェルディ川崎
(4)横浜マリノスVSジュビロ磐田
※正解......(2)ヴェルディ川崎VS横浜マリノス
Jリーグ発足
国際オリンピック委員会(略称IOC)は、1974年に五輪憲章第26条の「参加資格」か
ら「アマチュア」の文字を削除し、1984年のロサンゼルス・オリンピック以降、プロ選手の出場が認められるようになった。
1986年FIFAのジョアン・アベランジェ会長(当時)が、アジア、アフリカでのワールドカップ開催の方針を打ち出し、日本に大会の開催を打診した。これをうけたJFAはプロリーグ構想を進めることとなり、1988年には日本リーグ内に「プロサッカーリーグ設立の経緯について」と題した記者会見が開かれ、同年11月には「社団法人日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)」が設立。初代チェアマンに川淵三郎(現・
JFA名誉会長)が就任した。
1992年、鹿島アントラーズ、浦和レッドダイヤモンズ、ジェフ・ユナイテッド市原、ヴェルディ川崎、横浜マリノス、 横浜フリューゲルス、清水エスパルス、名古屋グランパスエイト、ガンバ大阪、サンフレッチェ広島、の10チームがJリーグさんかチームとして発表された。この10チームは「オリジナル10」と呼ばれている。